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2006年12月17日 (日)

せんせい

二年間、教員の職に就くことができ、また昨年は自分のクラスを持ち、教えることが出来ました。
子どもたちに教えることを通じて、自分を見つめ直し続けた二年間でした。
低学年であればあるほど、教育の大事さを感じ、そして、低学年の教室においては、先生は大きな船の舵をとる船長であり、物事のはじめを教える親のようでもあり、オールマイティーになんでもこなすことが出来る優れた人間でなければならない気がしました。

でも、私はそんな優れた人間ではありません。

子どもに言い聞かせながら、自分自身ができないこともしばしばありました。

だからこそ少しでも、子どもの見本になれるようにひとりの人間として、できるだけのことをしようと思いながら子どもたちと過ごしたつもりです。
私が高校生の時に、ある先生が、

「先生という字は、先に生まれると書くんだ。
だから先生と言うのは、えらいわけではないんだよ。ただ、皆より先に生まれたから、
教えることが出来るだけだよ。」という話をしてくれました。

私は、驚いた記憶があります。

それまでは、先生はえらいものだと教え込まされていたし、思い込んでいたからです。

それから教える立場になった今は、「先生」は、教室にいる人のことだけを指すのではなく、先に生まれたすべての人は、後者の人間にとっての先生であり、教員だけが先生ではないと思うようになりました。

教育というのは、教室だけで行われるものではないと私は思います。
親や地域社会、子どもを取り巻くすべてのひとが先生であるような社会作りをしなければなりません。
この話を「先」と「生」という漢字を習った子どもたちに話してあげることもできよかったと思いました。大人になった時に、私が話したことを例えまったく忘れてしまったとしても、こういう考えがあるんだということを教えられてよかったと思っています。
先月、半年ぶりに教え子の親御さんに会う機会があり、その時、
「先生には、学校の先生としてではなくても、みんなの先生としていてもらいたい。」と
言っていただきました。

自分の考えや思いを分かってくれていた保護者の方がいたこと、そして暖かく見守ってくれた中で教えることができて、とても貴重な一年間でした。
先に生まれたものとして、学び、学んだことを後者に教えていく、そういう世界のつながりを感じながら、自分自身も努力を怠らず、もっと一生懸命に生きていきたいと思います。
                                           

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